母は灯油を買いに出かけたまま、帰ってこなかった。その理由を知って、涙が止まらなくなった...

玩游戏 2019-07-01

会社員でTwitterユーザーの由太郎さん(@yutarou11)さんが投稿した、いまは亡きお母さんとの思い出がネットで話題を呼んでいます。実は由太郎さんのお母さんは、彼がまだ中学校3年生だった頃、外出して3日間も音信不通になったことがあったのです。その当時の経緯を由太郎さん本人が綴った投稿をご覧ください。

『 当時、僕は中学三年生。進路も決まった冬の事。父は小規模ながら事業しており、母はその助手といった立ち位置。父は営業で留守が多く、自宅の向かいに借りてた事務所の番をするのは専ら母でありました。両親不在が多く、家事は一通りできる鍵っ子という存在が僕でした。

父がいつもの通り1週間は出張。雪も深くなって灯油の残りが気になる季節。ポリタンク3つのうち2つはカラになっていました。東北の片田舎、買うには車が必要で、母しか運転できません。「事務所の灯油も見てくる。あと買いにいってくるね」と玄関たった母の一言から伝説が始まります。

 

事務所の扉を開けると電話が鳴り響いたそうです。携帯電話が流通するのはもっと後の時代。

飛び込みの仕事か?と慌てて電話を取った母。

すると受話器の向こうから「…おねえちゃん。いまどんな×××××××(自主規制)」卑猥な言葉が聞こえたそうです。

 

普通ならマッハで叩き斬る電話を「白だよ!あんたなんてイタズラしてんだい!」と怒鳴りつけたらしいです。驚いたのは、電話の向こうです。まさか、反撃が来るとは思わなかったそうです。慌てて受話器をおこうとしたら電話機ごと床に落としてしまいました。

母は受話器の向こうからガタゴトと音がする中、特徴的な車椅子のギィギィという音を拾っていました。男が電話を切る前に、「ちょっと、あたしの話を聞きなぁ!!」と叫んでいたそうです。後にこの台詞は電話主の生死を分けた“ちょっと待ったコール”と呼ばれます。

結論を書いてしまえば、車椅子の男性はある一流企業に務める下半身不随の方でした。ハンデを背負いながらも努力し一般の方よりも成績をあげても、周囲の差別は止まず自死を選びます。そして真面目一徹の人生、最後の1度くらい不真面目にイタズラしてやろうと電話帳から適当にうちを選んだのでした。

母には野生のカンのようなものがあり、車椅子の音を聴き逃しませんでした。「あんた、辛いんだろ?」からの口八丁で30分後には相手の住所を吐かせ、「あたしが行くまで死ぬんじゃないよ」と隣県にある彼の自宅まで車を飛ばします。考えるととんでもなく無謀です。噛み付く鉄砲玉とはよく言いました

 

母と男性の自宅へ行き、何をしたのか。答えは“何もしなかった”そうです。正確には妖怪ぬらりひょんみたいに、突然座り込んでまるで家の主人のように偉そうに振舞っただけと聞きます。帰るのが面倒だ、疲れただのいい、勝手に寝たりして、男性としてもたいへん面食らったそうです。

緊張も溶けた三日目。むしろ自白しないともう話すことがないと諦めた男性はポツリポツリと動機を話しました。母はふんふん聞くだけだったそうです。ここでようやく三日間置き去りにした僕を思い出したらしく、自宅に電話をくれます。

 

「由太郎、いまちょっと温泉旅行にきててさ。」

「へ?」

「母さん、今どこなの?」

「(名前なんだっけ?うんうん、Tね)あー、O花沢のT温泉だよ!来週には帰るから家の事は頼んだよ」

ガチャン。ツーツーツー。

「…灯油は?」

何かに夢中になって、1日2日留守にするのは当たり前の両親。ですが、この時ほど驚いたことは…いや結構ありますね…。

それは12月30日。母は車椅子の男性と共に帰宅します。「T温泉ホテルのTさんだ!」「息子さん、お母さんを借りてすみません。──実は」

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